進撃の巨人とエヴァンゲリオンの共通点とは
こんばんは、chiojiです。
今日は、私の毎週のやることリスト
「進撃の巨人 final season」のアニメを見ることと、
「シン・ヱヴァンゲリオン」をみることについて書きます。
まず、進撃の巨人ですが、とにかくこのファイナルシーズンは面白過ぎます。
今まで、ずっと壁の中の話だったのが、このファイナルシーズンからその壁のある島を
離れた敵側である大陸側の話になっているからです。
また、このファイナルシーズンから話の主体が今まで敵とされていた側から目線での
物語になっており、こちら側にももちろん正義の行いであったことが
細かく表現されています。
昨年ドラマで放送された「半沢直樹」のような勧善懲悪ではなく(これはこれで面白い)、
どちら側にも正義があるという物語が映し出されているからです。
進撃の巨人に戻しますと、今回大陸側の話がたんたんと進められていると思いきや、
急に謎の人物が現れ、それが3シーズンまでずっと話の中心であった、主人公であることが
わかり、次々と成長した数年後の仲間たちも現れます。
その成長した姿が次々映し出られることにも感動しますが、いままでは人間対無垢の巨人であったのに対し、今回から「人間+意思のある巨人」対「人間+意思のある巨人」のガチンコ勝負が突如として始まるのです。
私はアニメしか見ていませんので、この先はわかりませんが、毎週楽しみでたまりません。
ヱヴァンゲリオンも残念ながら完結作である今回の映画が3度目の公開延期となってしまいましたが、これを見ずには死ねませんね。
ヱヴァンゲリオンも進撃の巨人と同じく、以前は「人間+人造人間」対「謎の生命体」が主体であったのが、ヱヴァンゲリヲンQから突如、「人間+人造人間」対「人間+人造人間」という構図に変わってきます。
どちらも物語が進むにつれて、私たちは一体何と戦っているのかということが、物語が進むにつれて明かされていき、結果戦っている相手は、同じ「人間」であることがわかるのです。
わたしの私見ですが、すべての原因も要因も、私たち人間なのだということを表現したいのではないかと思っています。両学長もおっしゃっていたまさに「原因(要因)自分論」ですね。
下に貼っておきますので、ご参考ください。
それぞれに正義があり、それぞれが悪になる。
普段生活しているときも、どうしても意見が合わない人、周りにいませんか?
おそらくそれは、お互いが正義のために戦っているからではないでしょうか?
とんでもないクレーマーも、もしかしたら配偶者や家族のために行っているかも
しれませんし、政治家だって誰かを守るために必死にウソをつかない程度に認めないを
繰り返しているのかも知れません。
でもその正義は結局は、人間のエゴなのかもしれません。
人類の為に、人類の発展のために行っていることが、結局は地球を傷つけてしまっている。
地球側も地球に生きるすべての生物の為、もしくは考え付かないような何かの正義の為に
良くしよう良くしようと戦っているのかもしれません。
その結果がウィルスだったとしたら、人類はこれに対抗できるのでしょうか?
昨年大ヒットしたアニメ、「鬼滅の刃」にもそれぞれの物語があり、それぞれに感情移入できてしまうところが、ヒットの要因だったのかもしれません。
「それぞれの正義」
永遠のテーマであると思っています。
今日はここまで。
また、明日。
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